ころりん ころらど

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~ラテンアメリカやスペイン語圏の絵本を中心にご紹介します~

あるきやミゲル・ビセンテ

2021年9月13日

  • 原題
    Miguel Vicente pata caliente
  • オルランド・アラウホ(Orlando Araujo)
  • モレージャ・フエンマジョール(Morella Fuenmayor)
  • 発行年
    1996年
  • 出版社
    エカレ社(Ediciones Ekaré)ベネズエラの児童書出版社

本書について

くつみがきの少年ミゲル・ビセンテが、旅する夢をかなえるおはなし。

本書の特徴

ベネズエラの国民に愛されているロングセラー。主人公の人懐っこさや憎めないキャラクターは、ベネズエラの代表的な国民性を表しています。また、ラテンアメリカの社会問題ともなっている貧困問題、識字問題などが背景になっており、厳しい環境下で暮らす少年の日常がリアルに、しかし子ども視線で生き生きと描かれています。彼らは想像力豊かな遊びの天才です。また、どんな時でも音楽が日常に入り込んでいます。外側からみた貧困を描いた作品ではなく、ベネズエラ人作家と画家によるリアリティあふれるラテンアメリカの作品です。

あらすじ

ミゲル・ビセンテは、ベネズエラのカラカスの都市をとりかこむ、山の斜面のバリオとよばれる地区で、おかあさんとふたりでくらしています。毎朝、くつみがきの仕事をするために、町の中心部へとでかけていきます。時おり口笛をふいたり、くつみがきの箱を太鼓のかわりにしてリズムよくたたいてすごします。

ミゲル・ビセンテの夢は、旅にでかけることでした。今まで、「旅してみたい」と流れ星にお願いしたり、クリスマスには神様にもお願いしました。けれど、願いはかなえてもらえません。でも、ミゲル・ビセンテは、夢をあきらめたわけではありません。町をジャングルに見たてて友だちと探検ごっこをしたり、ターザンごっこをしたり、遊びの中で冒険を楽しむことだってできるのですから。

ある日のこと、くつみがきのお客さんから一冊の本をもらいました。それはマルコ・ポーロの旅の本でした。ミゲル・ビセンテは文字をよむことができません。けれどその日から、この本は彼の宝物となりました。

ところが人生の転機は、ある日とつぜんやってきます。お母さんが病気になり入院してしまったのです。遠くはなれてくらす、トラックで旅をしている兄さんが、ミゲル・ビセンテを引きとりにやってきました。ミゲル・ビセンテは、マルコポーロの本を手に、大いなる旅へと出発することになったのです。友だちとの別れ、お母さんとの別れ、悲しいけれど、それ以上にこれから待っている旅の冒険は、彼の心を満ちたりた気持ちでいっぱいにしました。

テーマ:貧困、社会的不平等、識字問題

作者について

文:オルランド・アラウホ(Orlando Araujo)

1928年、ベネズエラ生まれ。作家、経済学者、ジャーナリスト、詩人。ベネズエラ          中央大学で経済と文学を専攻後、NYのコロンビア大学大学院で経済学を学ぶ。帰国後、ベネズエラ中央大学の教授となり、1969年には同大学の学部長を務めた。大学教授としてだけでなく作家、ジャーナリスト、エッセイスト、文学批評家としても活躍した。1974年の国民文学賞を受賞。その他様々な受賞歴を持つ。1987年没。

主な作品(いずれも未邦訳)

1966年『不毛な言葉(La palabra estéril)』

1968年『暴力の国ベネズエラ(Venezuela Violenta)』

1969年『ベネズエラにおけるプエル・トリコの作戦(Oeración de Puerto Rico sobre Venezuela) 』

1970年『旅の仲間(Compañero de viaje)』

1975年  『生と死の対立(Contrapunteo de la vida y la muerte)』 国民文学賞受賞

1978年『歩きや ミゲル・ビセンテの旅(Los Viajes de Miguel Vicente Pata Caliente)』

1996年 絵本版『歩きや ミゲル・ビセンテ』Ekaré 社

1997年  改訂版『歩きや ミゲル・ビセンテの旅(Los Viajes de Miguel Vicente Pata Caliente)』Monte Ávila Editores Latinoamericana 社

その他、多数

絵:モレージャ・フエンマヨール(Morella Fuenmayor)

ベネズエラのカラカス生まれ。グラフィック・デザインを学んだ後、子どもの本のイラストレーターとして仕事を開始する。彼女の作品はボローニャブックフェアおよびブラティスラヴァ世界絵本原画展、そして日本でも紹介されている。日本においては、絵本『ロサウラ 自転車にのって(Rosaura en bicicleta)』は、2000年の第11回野間国際絵本原画展にて奨励賞を受賞した。

主なイラスト作品(いずれも未邦訳)

1987年   『鳥がないてる(Estaba la pájara pinta)』2011年改訂版が出版

1990年   『ロサウラ 自転車にのって(Rosaura en bicicleta)』

1996年   『ミゲル・ビセンテ(Miguel Vicente pata caliente)』

2011年 『オリノス伯爵(El conde Olinos)』

2011年 『ママのベッド(La cammma de mamá)』

おはなしの一部

これはミゲル・ビセンテのお話です。ミゲル・ビセンテは、いつもあちこち歩きまわっては、みんなとおしゃべりするのが大好きなくつみがきの少年です。だから彼の住んでいるバリオでは、みんなから「歩きやミゲル・ビセンテ」とよばれていました。バリオは、山の斜面にそまつな家がぎっしりと立ちならんだ地区です。バリオからは、ベネズエラの首都カラカスの町を見わたすことができます。カラカスは、高いビルと木にかこまれたりっぱな家がたちならび、町の北がわには雲でおおわれた広大な山もそびえたっていました。

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「なんて名前だい?」

「ミゲル・ビセンテ」

「兄弟は?」

「兄さんがふたり。ひとりは国じゅうを旅してまわってんだ。もうひとりは、東のオリエンテの町の石油会社ではたらいてる。」

ミゲル・ビセンテは、いつものようにおぼえていることを口にしました。ほんとうのところ、兄さんたちには、一度も会ったことがありません。このことは、お母さんからきいた話でした。でも、いつもいろいろ質問されるので、こんなふうにくりかえし話しているのです。とくに、旅をしている兄さんのことは、とても気にいっていました。兄さんは、ミゲル・ビセンテのしらない山や平原や町をいつも旅してまわっているのです。それは、ミゲル・ビセンテの夢そのものでした。

・・・・・・・

ミゲル・ビセンテは、いつかオリノコ川に行ってみたいと思っていました。オリノコ川はベネズエラ最大の川で、カラカスの市内を流れるグアイレ川よりも、はるかにずっと大きな川でした。オリノコ川の流域には、巨大なヘビのカイマンがうようよしています。『オリノコ川へ行って泳げたらなあ!大人になったらオリノコ川へ行って、アマゾンのジャングルをぼうけんしたり、高い山をのぼったりしたいなあ。』ミゲル・ビセンテの夢は、ふくらむばかり。

「旅してみたいかい?ミゲル・ビセンテ」

「うん。すっごく」

「では、いっしょに行くかい?ちょうどアンデスの山にいくところなんだ。あちらでは、山に雪がかかってるよ」

「ワシもいる?」

「もちろん。」

「すごいや!でも、きっと、すごくさむいんだろうね。」

「緑がいっぱいの野原もあるし、山をつたって川も流れてるよ」

ミゲル・ビセンテはむねがいっぱいになって、うっとりとした気持ちになりました。トクン、トクン、トクンと心ぞうが音をたて、いまにもTシャツからとびだしそうなほどでした。

「ああ、旅に行きたいな!」おもわず、声がでました。

そのとき、ちょうど時間となりました。みがいていたくつはピカピカになり、お客さんは去っていきました。ミゲル・ビセンテは、ボリーバルのお札をポケットにしまうと、いつものように口笛をふき、太鼓をたたきはじめました。けれど心の中は、まだ夢をみていました。冒険がいっぱいの、はるかなる夢の旅を。

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